年に一度、決まった時期に人間の世界にやって来る神様がいわゆる「来訪神」ですが、東北では秋田・男鹿のナマハゲが有名です。
しかし、今やそのナマハゲと肩を並べてユネスコの無形文化遺産に登録されるほど出世した(?)のが大船渡の三陸町吉浜地区に伝わる「スネカ」。ここではスネカについて詳しくご紹介します。
スネカとは
吉浜では毎年、小正月の1月15日の晩になると、鬼とも獣ともつかない面をつけ、蓑を身にまとったスネカが家々を訪れます。この呼び名は「スネカワタグリ」を縮めたもので、冬の間、長いこと囲炉裏にあたって赤いまだら模様(火斑)ができた怠け者のスネの皮を剥ぎ取る(たぐる)ことから来ています。
ちなみに火斑は「なもみ」「あまみ」、「ひがた」などと呼ばれ、この火斑を剥ぎ取りに来訪神が来るという設定が多いようです。ナマハゲも、なもみ剥ぎが訛ったということのようで、呼び名は数あれど、行事の目的が一緒というのは興味深いものがあります。
スネカは、アワビの殻を腰にぶら下げ、俵を背負い、身を屈めて鼻を鳴らしながら歩くのが特徴的な姿です。長靴も刺さっていたりしますが、言うことを聞かなくて俵に詰め込まれた子供なのだそうです。怖っ!
スネカの歴史
スネカの歴史は古く、始まった時期は不明ですが、およそ200年前には行われていたと考えられています。太平洋戦争前後にスネカの風習は一時途絶えますが、昭和30年代には復活し、現在と同様の形で行われるようになりました。
そして昭和40年代に開催時期が旧暦から新暦の小正月に代わり、平成7年には「吉浜スネカ保存会」が発足しました。
その後、平成11年には旧三陸町指定の無形民俗文化財に、平成16年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。
国の重要文化財からユネスコ無形文化遺産へ
平成21年、来訪神である鹿児島県・甑(こしき)島のトシドンがユネスコ無形文化遺産に登録されました。その2年後、男鹿のナマハゲが登録を目指したのですが、トシドンとの類似性を指摘され、再審議となりました。
このため、国指定重要無形民俗文化財に登録されていた来訪神10件を構成要素としてグループ化し、トシドンの拡張版として再度提案したのですが、このうちの1件が吉浜のスネカというわけです。
そして平成30年、晴れて来訪神はユネスコ無形文化遺産に登録されます。ゆえにスネカは、いわばナマハゲ10兄弟の一人ということになるのです(?)。
スネカの類似行事
来訪神はユネスコ無形文化遺産に登録された10件をはじめ全国に多数あり、県内でも沿岸部を中心に分布し、県北部ではナモミが、大船渡でもスネカのほかに三陸町越喜来の崎浜地区に伝わるタラジガネが知られています。
スネカをはじめ来訪神は、里に春を告げ、五穀豊穣・豊漁をもたらすとともに、怠け者や泣く子を戒める存在なのです。
スネカ行事当日
1月15日の夜になると、各集落ごとにスネカが家々を回って歩きます。スネカは、訪問する家の庭先で鼻をゴオゴオと鳴らしながら玄関口に向かい、戸をガタガタ揺すったり、爪で引っ掻いたりしてから戸を開け、家に入ります。
家の中では、家人一同が座敷などに集まっており、小さい子供はスネカの恐ろしい姿を見て、泣きわめいたり、逃げ出そうとしたりします。
スネカは、小刀を振り上げて威嚇すると、家人の近くに寄って「カバネヤミァ(怠け者)いねえが」などと声を張り上げます。スネカはしばらく家の中を歩き回りながら、恐ろしい形相で怠け者を捜す素振りをしたり、親に抱かれた幼児や逃げ回る子どもたちを威嚇します。家人は、「カバネヤミも、泣ぐワラス(子供)もいねえがら。餅あげっから帰ってけらっせん」などと言って、スネカの退散を促します。
子供達は泣きながら大声で「いい子にします」と連呼し、その後スネカは退散と相成るのですが、このとき背中を見せることなく後ずさりしていきます。まるで最後の最後まで様子を伺っているようで、子供にとってはトラウマ級に怖いのではないかと。
おわりに
スネカは吉浜地域が一体となった伝統ある行事で、さすがユネスコ無形文化遺産といったところです。吉浜も人口減が深刻な地域の一つなのですが、末永く伝統文化を受け継いでいってほしいものです。