秋が深まるにつれて里の柿は色づきを増していき、青空に橙色が映える美しい田舎の風景を楽しむことができます。そして大船渡を含む気仙地域の、晩秋から初冬にかけての風物詩の一つが、干し柿の一種「ころ柿」です。
ころ柿とは?干し柿にも種類が
干し柿には「あんぽ柿」と「ころ柿」とがあります。あんぽ柿は水分含有量が多目の、いわばセミドライタイプのドライフルーツと言え、ころ柿は水分の少ないドライタイプと言ったところでしょうか。
ころ柿の呼び名は、庭先に皮をむいた柿を並べて天日で乾燥させる際、柿全体に陽が当たるように、適当な間隔をおいてコロコロ転がして位置を変えることからきているとも言われます。
ちなみに、同じ読み方で枯露柿と書く地域も全国的にはあるようです。朝夕の露によって湿り昼は乾く(枯)、この繰り返しにより干し柿ができることからきているそうですが、あくまで当地域ではひらがなの「ころ柿」です。
枯露柿・ころ柿のどちらも作り方に大きな違いはありませんが、気仙特産のころ柿で特徴的なのは柿の種類。小枝柿という、種なしの珍しい柿なのです。
気仙特産・小枝柿の由来
なんでもこの小枝柿、むかしむかし気仙地域を訪れた弘法大師に土地の人が柿を恵んでくれ、そのことに感謝した大師がこの地の柿を種なしにしてくれたという話があります。また、古くからころ柿を作っている三陸町越喜来・肥の田地区が発祥であることから、その地名にちなんで「小枝柿」という名がついたとも言われています。肥の田地区には、樹齢300年以上という小枝柿の親木が今なお健在なのだとか。
理由や名前の由来はともあれ、気仙地域の柿は種なしなのですが、面白いことにその苗木を気仙以外の地域で栽培しても種のある柿になってしまうそうです。
ころ柿の作り方
さて、そのころ柿の作り方ですが、11月初め頃から色づいた柿を収穫し始めます。このとき「木守柿(きもりがき)」と言って、柿の実を全部採り切らず、1本の木に1つ2つ残しておいて、来年も収穫できるようにとおまじないをかけるのです。
収穫後は皮をむいて縄掛けして吊るし、天日で乾燥させるのが一般的ですが、商品として出荷するような高級品は、糖度を高め色づきを良くするために収穫後の追熟や乾燥の際の燻蒸などを行います。
ひと月ほどの時間をかけて柿は次第にあめ色に変わり、渋味が抜けて甘味を増していきます。乾燥後はおわん型に形を整えますが、表面の糖分を結晶化させるため、再度天日に干すこともあります。
また、乾燥の際、雨よけも兼ねて縄掛けした柿を軒下などに何本も吊るすのですが、これがのれんやすだれのようで、美しい田舎の風景を醸し出してくれます。
三陸鉄道の三陸駅では毎年この時期になると、地域の方々の手によって、駅ホームにオレンジ色の「柿のれん」が現れます。完成したころ柿は、三陸鉄道の乗客にふるまわれます。
できあがったころ柿は、お茶うけとしてそのまま食べますが、気仙地域では大根と人参で作る酢の物「なます」に、細く切ったころ柿を入れたりします。
また、むいた皮を漬物に入れて風味を良くするといったことも行われています。
うんだっことは
小枝柿は小ぶりな渋柿なのですが、収穫しないまま木の上で真っ赤に熟した柿は「うんだっこ」と呼ばれます。語源は「熟む」から来ていると思われるので、標準語ならさしずめ「熟したヤツ」といったところでしょうか。ただし、いくら熟していても柿以外のものがそう呼ばれることはありません。
このうんだっこ、実がタプタプして甘味が強く、放っておけばカラスがつついてしまうので、子供のおやつだった時代はタイミングを見計らっての競争だったそうです。
おわりに
気仙の小枝柿を使ったころ柿についてご紹介しました。
今では自宅でころ柿を作る人も少なくなり、うんだっこの時期を過ぎてもなお収穫されないまま、寂し気に木にぶら下がっている柿を見かけるようになってきました。
しかし、小枝柿を使ったころ柿作りという地元の貴重な食文化は、これからも大事に残していきたいものです。