海のまちとして知られる大船渡ですが、山地が海に沈降したリアス式海岸だけあって、背後は山また山という地形です。そんな大船渡の内陸部・五葉山麓の日頃市町は、四方を山に囲まれ、その合間に集落が点在していますが、その集落の一つである鷹生地区には、山の斜面を開墾してできた無数の棚田が広がっています。
山中に70ヘクタールもの水田が整備されたこの棚田は「庄五郎新田」と呼ばれ、そのまま地名にもなっています。そしてこの水田を興したのが、伊藤庄五郎という人物なのです。
庄五郎は慶応2(1866)年、日頃市村下鷹生で農業を営む伊藤家の長男として生まれました。18歳の時に地元の娘と結婚し、その後北海道帯広に住む親戚を頼って北海道に渡り、のちの開田事業につながる土木測量技術を学んで地元へ戻ってきました。
当時これといった産業のない村では産業振興が必要でしたが、麦・稗・大豆等の畑作農業が中心で稲作はごく少ない一方、製糸業は江戸時代からの伝統的な在来産業として続いていました。鷹生地区にも製糸工場があり、有名な長野の岡谷製糸の製品を上回ると言われるほどの品質を誇っていたそうです。
しかし、庄五郎は放置されている山林原野や畑を開墾し、他から買い入れなければならなかった米を自給することが必要であると考えていました。そこで製糸組合の集まりの場でこの意見を述べたのですが、水田には大量の用水が必要となることから「戦国時代に当地を治めていた新沼安芸守でさえ成功しなかった灌漑事業を貧乏百姓の庄五郎がやるなんて無謀すぎる」と猛反対されました。そこで地域の人達に開田の必要を説いて回った庄五郎ですが、27歳の若者の言説に耳を傾けるものはいませんでした。庄五郎にできるのは、時が来るのを待つことだけでした。
それから20年近い歳月が流れ、その間に鷹生生糸生産販売組合長に就任し、1910(明治43)年に村内の日頃市尋常小学校・小通簡易小学校・田代屋敷簡易小学校の3校が統合されて現在も残る日頃市小学校ができた際も、庄五郎が学務委員長として統合の推進役を果たしています。
1911(明治44)年には日頃市村会議員となりましたが、気仙郡農業技師の黄川田氏との出会いにより転機が訪れます。長年温めてきた開田事業に係わる耕地整理計画を黄川田技師に話すと、これは県・郡が奨励すべき事業だとして後押ししてくれました。
その甲斐あって県から技術員が派遣され実地調査が行われました。その結果、非常に有望であるとの調査結果が得られましたが、測量や設計に入るには関係土地所有者の賛同を必要としました。猛反対する地主を単独で説得するのは至難の業だったため、同郷であった鈴木佐助村長に意見書を出して協力を仰いだことで、地主40人の同意を得て測量にこぎ着けました。
1912(明治45)年5月、耕地整理組合設立認可の申請書を提出して認可されたため、県や岩手農工銀行にも来てもらって「下鷹生耕地整理組合」設立総会を開催しました。ところが総会当日、庄五郎の懸命の呼びかけもむなしく、組合員の出席が必要定数に足りなかったことから、とうとう流会となってしまいました。
しかし、これに屈せず不退転の覚悟で不参加だった反対組合員の自宅を訪ねては説得を重ね、ようやく総会を開催しましたが、大蔵省からの1万6千円の借入れを巡って強い反対があり、侃々諤々の討論は深夜にまで及びました。庄五郎をはじめ関係者の説得により、借入れは何とか認められ、役員の選任では自ら組合長となりました。
そして元号が大正に改められた8月から灌漑用水事業が始まりました。庄五郎組合長は自ら現場指揮に当たり、夜にロウソクの明かりで土地の高低を測量するなどの苦難を経て、12月に延長3.03kmの用水路が完成しました。
庄五郎は続いて約20ヘクタールの山林原野の開拓に取りかかり、1913(大正2)年4月に初の田植えにこぎ着けました。ところが同年8月に暴風雨が襲い、3割ほどしか収穫できませんでした。それみたことかと批判する反対派の声にも負けず翌年も工事を続行し、整備された総面積は80ヘクタールにも及びました。
幸いこの年は好天続きで、稲の作柄も上々でした。そこで、これまでのわだかまりをなくし地域の親睦を図ろうと、工事起工記念日の8月29日に相撲大会を開きました。大会は多くの参加者・見物人でにぎわい、組合員50余名がここに団結したのでした。
多くの苦難を乗り越え、郷土をこよなく愛し開田事業に身を挺した庄五郎は、1926(大正15)年4月7日、60年の生涯を閉じました。庄五郎の尽力によって拓かれた水田は、誰が言い出すともなく「庄五郎新田」と呼ばれ、今では「日頃市町字庄五郎新田」として地図にその名を残しています。
かつて相撲大会が行われた見晴らしの良い一角には、小沢一郎揮毫の記念碑「農魂碑」が建てられています。付近は整備された市道が通っており、車窓から棚田を一望することもできますが、やはりここは下車して先人の偉業に思いをはせることをおすすめします。