平成13年の編入合併で新たに大船渡市に加わった三陸町にある綾里地区。旧大船渡市民からすれば、知っているようでまだよく知らない地域でもあります。綾里という地名も、「綾織姫が由来で・・」ということは知っていても、内容はあまりよく知られていないのではないでしょうか。
ここでは、綾里という地名の由来について調べてみました。
綾里地区について
三陸町綾里地区は太平洋に面した町で、漁業が盛んです。また、かつては気象ロケットの打ち上げが行われ、小学校では和服姿で全国のトップを切り入学式を行うことでも知られます。V字形の湾のため、明治三陸地震、東日本大震災による津波では、それぞれ国内観測史上最高の遡上高になるという、ありがたくない記録を持っています。
綾織姫とキビツ石
そんな綾里の地名の由来は、当地にやってきたという綾織姫の物語です。
その昔、東北地方が蝦夷地と呼ばれていた時代、陸奥鎮守府多賀城から、石浜の明神ヶ沢に鎮座する衣多手神社に、美しい姫が堂守としてきました。この姫は機織りが上手で、毎日機を織っていたので、綾織姫と呼ばれていました。また、折を見ては村の女性たちに綾羅の織り方を教えたので、村では織物業が発達しました。
ある時、姫は後の世にまで残るような丈夫で長く立派なものを織りたいと、たった一人で何日もかかって織り上げました。後に新沼太郎左衛門の居城となる平舘から石浜の稲荷神社まで届くほどの長さとなった織物を、姫は村人たちに手伝ってもらって明神ヶ沢の庵に持ち帰り、木製の箱(木櫃キビツ)の中に納めると、どこかへ消え去ってしまいました。しばらくしてキビツを開けてみると、織物は石に変わっていたそうです。
そのキビツと言われる石が、綾里漁港の西側にある八ヶ森の突端にあります。明神ヶ沢のキビツ石は畳5枚分とも言われた巨大な石ですが、今は草生して断崖に横たわっているようです。
また、綾里川の上流に位置する野形地区には、綾織姫をまつった白山神社が、竹林の中に佇んでいます。
そして、行方知れずとなった綾織姫は、遠野に移ったとも言われ、綾織(あやおり)という地名になって残っているという話もあります。
しかしながら同地区には、いわゆる羽衣伝説があります。天女が漁師に奪われた羽衣と交換するため機を織り、織物を置いて羽衣をまとい、天に昇って行ったというものですが、その後同地区は綾織と呼ばれ、天女が織った織物「お曼荼羅」が光明寺に保存されているとのことです。
綾織姫と遠野綾織の地名をつなぐストーリーが不明なのに対し、ご当地の羽衣伝説にお曼荼羅という現物まで残っていては、綾織姫が遠野に移って云々という話はちょっと弱いのかなーと思わされます。
おわりに
それにしても伝説の姫は、手仕事はおろか自身まで失せてしまい、残ったものはその名ばかりということで、これは大船渡最古のミステリーと言っても過言ではないでしょう。しかも、神社としてまつられているというのもまた謎なのですが、その謎に迫る、もうちょっと勉強してみたいところです。