大船渡には鉄道会社が3社あります。筆頭のJRは大船渡線の気仙沼-盛間が廃線となり、BRTに切り替わりました。続く第3セクターの三陸鉄道は、イベント列車をはじめ多種多様な取組で地元民・観光客を取り込んでいます。
そして残る1社が開発鉄道です。かつては旅客列車を運行していましたが、今は貨物のみの取り扱いとなり、市民(特にも日頃市町民)にとっては遠い存在になってしまいました。そんな開発鉄道について掘り下げてみました。
開発鉄道は正式には「岩手開発鉄道株式会社」で、市内に旅行・不動産・印刷・運送・設備などを営む複数子会社の持ち株会社でもあります。開発鉄道と呼ばれることが多いため、ここではこのように記述します。
開発鉄道の歴史
昭和14年8月、産業振興と沿線地域の開発を目的として、盛駅から遠野市平倉駅までの約29kmの路線開業を目指し、第3セクター方式により開発鉄道が誕生しました。その後、太平洋戦争へと続く激動の社会情勢の中、物資が不足し工事は中断。ようやく昭和25年10月になって、盛-日頃市間を結ぶ日頃市線が開業し、旅客・貨物の営業を開始しました。
昭和32年6月には、盛-赤崎間を結ぶ赤崎線が開業し、貨物営業のみ開始。そして昭和35年6月、日頃市線は岩手石橋駅まで延伸し、今に続く石灰岩の輸送を開始しました。これは日頃市町長岩地区から産出されたセメント原料の石灰岩を、小野田セメント(現太平洋セメント)大船渡工場へ運ぶためのものですが、このために路線を引いたのではと思うほど、産地と消費地が最短で結ばれた運行ルートとなっています。
調べていくと、盛-赤崎間と日頃市-岩手石橋間の延伸は、やはり小野田セメントが実施したようです。その後昭和51年に、岩手石橋-平倉間の鉄道免許は失効してしまいますが、延伸できたとしても旅客部門での採算は見込めなかったと思われ、むしろ石灰岩という上客をつかまえたことで、所期の目的は達成されたようなものだと思われます。
激安運賃の旅客部門
さて、盛駅と岩手石橋駅を結ぶ日頃市線は旅客営業をしていたため、日頃市町民の足として大いに活躍してくれ、筆者も幼少の頃から高校時代まで大変お世話になったものでした。
驚くべきは運賃で、営業終了した平成4年でさえ、始発から終点まで乗っても大人120円/小児60円という安さでした。さらに、私が小学生だった〇十年前などは、なんと35円で盛まで行くことができたのです。さらにさらに、職員の身内となるとフリーパスで、お父さんが開発鉄道に勤めていた友達が羨ましかったものです。
当時日テレで徳光さんがやっていた「ズームイン!!朝!」でも、日本一運賃が安い鉄道みたいな触れ込みで放送されていたように記憶しています。
日本屈指の貨物部門
日頃市線の旅客営業は平成4年3月をもって終了したのですが、ドル箱・小野田セメントへの石灰岩貨物輸送は続けられました。鉄道統計年表によると、平成27年に年間205万8,156トンを記録しており、これはJR貨物に続く輸送量だとか。恐るべし、開発鉄道!
おわりに
車で国道107号を走っていると、見かけない日の方が少ないぐらいよく目にする開発鉄道。最盛期ほどではないものの一日13往復しており、1編成18両の貨車がゆっくりながらも力強く走る姿は、昔も今も全国に誇れるローカル鉄道と言えます。
貨物列車はコンテナが主流の中、バラ積の貨車は独自性もあり、貴重な観光資源にもなり得ます。開発鉄道には子会社で観光部門やバス部門まであるので、鉄道をフィーチャーした観光誘客などあれば面白いと思います、個人的に。