大船渡に観光名所は数あれど、穴場中の穴場は大船渡湾に浮かぶ島・珊琥島ではないでしょうか。その理由は何といっても交通手段。公共の交通機関は通じておらず、船で行く以外に手段がないため、行きたくてもおいそれとは行けないのです。
大船渡最大の島
大船渡には地番のついている島が4つあり、いずれも大船渡湾内にあります。このうち一番大きな島が珊琥島で、住所は大船渡町珊琥島になっています。周囲900m、面積2.5ha、標高は25mで、アカマツ林に覆われた無人島です。
赤崎町の蛸ノ浦から400m足らず、大船渡町下船渡の船揚げ場からは300mちょっとの距離なのですが、前述の通り海が行く手をはばんでいます。
本家の上を行く形状
島の形は南に向かって細くなっており、さながら船のようです。軍艦島と呼ばれる長崎の端島はいわば空母のようなフォルムですが、比べてみればこちらの方が軍艦に近いように思います。
珊琥島の歴史
珊琥島は、明治15年から三陸町越喜来の南部屋所有でしたが、大正4年に実業家の渋谷嘉助氏の手に渡ります。そして大正11年3月、漁業権の関係で争いの絶えなかった大船渡村と赤崎村とを和解させるため、島を公園として寄附しました。両村に対し、このような内容の寄付願いを出しています。
【寄付願い要約】
私の所有する珊琥島は大船渡湾の孤島であって、山水明媚な自然の理想的公園地を形成していることは世の人々が認めているところであり、一人よりは大衆と共に楽しむことが大事であります。このような秀れた場所の利用法について考究した結果、島全部を両村の共有とし、展勝地として保存する事に致しました。願わくば、両村で人工的な施設を加え、行楽の遊歩地とする一方、両村和平の基礎となることを希望します。将来的に水産試験場を建設する話も出ていますが、あくまで各村の遊園地として寄付しますので、この意を承知の上取り扱いいただくようお願いします。
その後公園整備のため、両村による公園組合が組織され、渋谷氏からは公園の整備費として1,000円が寄付されました。
島は、外務大臣などを歴任した政治家・後藤新平によって「珊琥島共同公園」と命名され、大正15年には嘉助を顕彰して、協同公園命名式と建碑除幕式が盛大に行われました。その後、昭和18年には美しい景観から国の名勝に指定されています。
戦後に入り昭和27年の大船渡市誕生に伴い島は市所有となり、公園組合は自然消滅しました。それから市で施設整備を行い、船着き場のほか、テニスコートや東屋、それに何とプールまで完成しました。昭和34年には電気や電話、水道を引くために工事を開始しましたが、折しも翌年起きたチリ地震津波のため、工事は頓挫してしまします。
行楽のため島を訪れる人も多く賑わっていましたが、やがて文化財保護も厳しくなり、島を訪れる人は減っていきました。それに伴って公園の手入れもされなくなっていったようです。
しかしその後、渋谷氏の意志に報いるべく昭和53年に発足した「珊琥島をきれいにする会」のボランティアの手で定期的に刈り払いなどが行われ、美しい姿が蘇りました。
おわりに
大船渡市民でもまず足を踏み入れることのない激レアな観光スポット、珊琥島。行けないとなると余計行ってみたくなるもの。渡航するには漁師やボートなどのオーナーと仲良くなるしかない気がしますが、船とお客のマッチングができればちょっとしたお小遣い稼ぎになったりして!?