大船渡の津波石

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る
大船渡の津波石

 津波石とは、津波の力で海から陸へ押し上げられた岩石のことで、東日本大震災による津波をはじめ、かつて発生した巨大地震に伴う津波にはこうした巨岩の言い伝えが残っているようです。

 岩手県内では、田野畑村に「羅賀の津波石」と呼ばれる重さ20トン(推計)の巨岩があり、明治29年に起きた明治三陸津波によるものだと伝わっています。また、宮古市では東日本大震災による津波で140トン(推計)の津波石が見つかっています。沖縄県の先島諸島では、直径10mを超えるサンゴ石灰岩が、1771年に起きた八重山地震津波などで打ち上げられたそうです。

 大船渡では、赤崎町と三陸町吉浜の2か所にある津波石が知られています。

合足(あったり)の津波石

 赤崎町の外口地区にある津波石で、明治三陸津波によって打ち上げられたとされ、海から66m離れた杉林の中にあります。大きさ1.1×2.5×1.3mの粘板岩で、海岸沿いに同種の泥岩が分布することからも、海から運ばれたものであることを伺わせます。

 大船渡は複雑な海岸地形をしたリアス式海岸であるため、入り組んだ湾内で津波のエネルギーが場所によって集中し、巨岩を運んだと考えられています。東日本大震災でもこの場所まで津波が遡上しましたが、さらに上へと押し上げるほどではなかったようです。

 津波石は「龍神の石」とも呼ばれ、津波の惨状を長く地域に伝えてきました。近くには、津波記念碑、明治~昭和の津波災害の記念碑があり、津波による被害を知ることができます。

吉浜の津波石

 三陸町吉浜にある津波石は、吉浜川河口付近の浜辺に位置し、縦3.7m、横3.1m、高さ2.1m、重さ約32トンという巨大な花崗岩です。昭和8年の昭和三陸大津波によって、海から200mもの距離を運ばれてきたもので、かつては津波記念碑として設置されていました。しかし、月日の経過に伴って人々の記憶が薄れていったためか、昭和50年代の道路工事の際、道路の法面として埋められてしまいます。

 この津波石には、この巨岩の由来が次のように刻まれていました。

「津波記念石 前方約二百米突吉浜 川河口ニアリタル石ナル カ昭和八年三月三日ノ津 波ニ際シ打上ゲラレ タルモノナリ 重量八千貫」

 昭和の大津波の歴史を伝える貴重な遺構は、40年もの間地中に埋もれたままとなっていましたが、東日本大震災による津波で、その上部が再び姿を現し、再発見につながったものです。

 津波から半月ほどした、周辺にはがれきがまだ多く残る頃、かつて津波石があった場所を探していた地域の古老が、津波石の一部と思われる岩を発見しました。地元住民が協力して掘り進めると「津波」の文字が現れたそうです。

 今度こそ、津波の恐ろしさを将来にわたって伝えるシンボルとすべく、巨岩を引き上げて震災遺構として再設置しました。

 津波石は一躍脚光を浴びることとなり、震災学習のため大勢の見学者が訪れましたが、震災から10年を経過した現在では訪れる人も見かけられません。

 目の前には美しい吉浜湾が広がっており、付近の吉浜海水浴場は夏になると海水浴客やサーファーが集まる人気の場所でした。津波の恐ろしさを肌で感じるだけではない、風光明媚な穴場観光スポットとも言えます。駐車スペースもありますが、吉浜駅からは約1km、徒歩でも10分少々で着きます。観光と学習を兼ねて、ハイキングがてら出かけてみてはいかがでしょうか。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る