大船渡をはじめ三陸と言えば海の幸というイメージが強いと思います。その海産物のうち、わかめの占めるシェアは全国で宮城40%、岩手30%弱。ということは、国産わかめの大半は三陸産ということになります。
かつてはうにやあわびと同様、天然わかめを採取するために口開け(解禁日)が定められており、口開けには早朝から一斉に舟で磯へ向かい、競うように収穫したとのこと。さらに、刈り取ったわかめは浜で天日干しし、乾いたわかめを売っていたとのこと。今日のように生や塩漬けではなかったのです。
養殖わかめを生んだ小松藤蔵
前述のように、当時わかめは天然のものを採取するしかなかったのですが、養殖によってわかめの生産・収量を安定させ、漁家の所得の向上に尽力した人物が小松藤蔵(とうぞう)です。
藤蔵は1916(大正5)年、当時村だった末崎の門之浜に生まれました。昭和28年頃、必要な道具を自費で調達し、藤蔵はわかめ養殖の研究に着手しました。
藤蔵は天然わかめの根本部分であるめかぶを陰干しして水槽に漬ける人口採苗方法を考案し、採取した種苗を種糸に付けて海に沈めるのにも、最適な深度が何mであるとか、わかめを吊るす縄を工夫するなど試行錯誤を何度も繰り返しました。
昭和32年、努力が実って養殖技術を確立し、養殖組合を設立しました。藤蔵は自身で作り上げた養殖技術を出し惜しみすることなく教え広めました。冊子「わかめ養殖方法について」を自費で刊行し、三陸沿岸を技術の普及のため行脚。販路拡大のためには日本各地を奔走しました。
そしてわかめ養殖の技術は三陸全体、日本全国へと広まり、昭和41年には養殖わかめの生産量が天然わかめを上回るほどになりました。わかめの収穫量が増えることにより漁家の収入は増え、浜で生計を立てる多くの人々が貧困から救われました。
塩蔵加工を考案した佐藤馨一
この頃、わかめは乾燥させたものが流通していましたが、昭和40年頃、末崎漁協組合員であった佐藤馨一は、収穫したわかめを湯通しして海水で塩蔵する新しい保存技術を考案しました。
乾燥わかめは戻しても固さが残ったりすることがありますが、塩蔵することにより色が鮮やかで柔らかく、塩抜きすればすぐに食べられるようになったのです。わかめの風味を損なわず長期保存することが可能となったことで、三陸沿岸各地にわかめ養殖が急速に広がる一因となりました。
ちなみに徳島県の鳴門地方では、灰をまぶして天日干しした「灰干し」という保存法が江戸時代から伝わっており、「素干しわかめに比べ、鮮やかな緑色、歯ごたえの良さ、ワカメ特有の香りを、常温で1年以上保つことができるのが特徴」なのだそうです。そんな保存法があるとは驚きです。
受け継がれる功績
平成19年、藤蔵の功績を称え、末崎町の碁石地区にわかめ養殖発祥地顕彰碑が建てられました。
そして地元の末崎中学校では、日本唯一と言われる、わかめ養殖の総合学習に取り組んでいます。種巻き作業、間引き、収穫といった生産工程のみならず、ボイル塩蔵、芯抜き、袋詰めといった加工工程、さらには修学旅行などを利用した販売に至るまで、3年間でトータルな学習を行っているのです。
これは地元にある食材を見直す機会のみならず、地場産業への理解という点でも意義深い取り組みです。また、偉大な先人の偉業の伝承にもつながるでしょう。
元祖疑惑?
ところで、わかめについて色々調べを進めるうち、疑問も出てきました。世界で初めてわかめの養殖法を確立したとされる、宮城県登米市出身の大槻洋四郎という人物です。
水産技術者であった洋四郎は、中国・大連の水産試験場に赴任し、昭和13年に乾燥刺激法という採苗法を発明しました。また、胞子を着床させた種糸をロープに編み込んでいかだに固定する、いかだ式養殖法を開発。さらに、保存のための塩蔵法も考案したというのです。
昭和18年に「若布と昆布のいかだ式養殖法、並びに若布と昆布の塩蔵法」という特許を取っています。ただ、この特許に関し、戦時中の混乱から失効していたため再度取得を試みますが、漁民を豊かにしたいとの使命感から途中で放棄しています。
そして昭和28年4月に帰国してからは、女川町でわかめ養殖法と塩蔵法の改良研究を行ったとのこと。これは藤蔵が養殖わかめの研究に没頭しはじめた年とちょうど符合します。
2人の接点は不明ですが、同じ時代に同じ三陸にいて同じ生業をしていれば、もしかすると藤蔵が洋四郎に教えを乞うたり、養殖技術について情報交換するようなことがあっても不思議はないように思います。
いずれ「わかめ養殖発祥の地・大船渡!」には疑問符がついてしまうのですが、 発祥がどこであっても、藤蔵が地元・末崎に養殖わかめの福音をもたらした伝道師だったことに変わりありません。
おわりに
わかめ養殖や加工方法に多大な貢献を果たした先人たちについてご紹介しました。藤蔵にしても洋四郎にしても、私利を捨て公に尽くした素晴らしい人物ということに異論はないでしょう。
先人たちの多大な苦労が実ったおかげで、一年を通しておいしいわかめが食べられるのです。シャキシャキわかめのありがたみが増しそうですね。